青少年委員会

青少年委員会 意見交換会

2024年11月

青少年委員会 鹿児島地区放送局との意見交換会 概要

青少年委員会は毎年、全国各地でさまざまな形で意見交換会を開催しています。今回は鹿児島地区の放送局とBPOとの親交を深め、番組向上に寄与することを目的に2024年11月28日午後2時30分から5時30分まで、鹿児島市で意見交換をしました。
BPOからは青少年委員会の榊原洋一委員長、吉永みち子副委員長、飯田豊委員、池田雅子委員、沢井佳子委員の5人が参加しました。放送局はNHK(鹿児島放送局)、南日本放送、鹿児島テレビ放送、鹿児島放送、鹿児島読売テレビ、エフエム鹿児島の計6放送局から各BPO連絡責任者、編成、制作、報道番組担当者など計21人が参加しました。

冒頭、「BPO青少年委員会の活動と位置づけ」と「青少年委員会の役割」について、BPO理事・事務局長 辻村和人と榊原委員長からそれぞれ説明がありました。

〇辻村事務局長
青少年委員会は月1回集まって、視聴者から寄せられた「この番組は青少年が視聴するには問題があるのでは」「この番組は未成年の出演者の扱いが不適切ではないか」といった意見をもとに、番組を視聴するなどして議論しています。より深く検討すべき事案については、「討論」を経て「審議」する場合があり、最後に「見解」などを公表するという委員会です。
BPOの3つの委員会にとって大切な仕事のひとつがこの意見交換会です。全国各地の放送現場の皆さまと委員会の委員が放送をめぐるさまざまなテーマを話し合い、理解を深めるというのが目的です。現場の実情を踏まえた闊達な議論をぜひお願いします。

〇榊原委員長
BPOの3つの委員会はかなり役割が違います。BPOというと、多くの人はお目付け役であるとか、あるいはBPOから何か聞かれる、BPOのところに来ると「お白州」に呼ばれたような感じがするという非常に強面(こわもて)に思われているようですが、青少年委員会はちょっと違います。
放送人権委員会がいちばん分かりやすいといいますか、実際にテレビ、ラジオで放送された内容や出演者などについて、人権侵害があったのではないか、人権の点からちょっと課題があったのではないかという場合に、実際に申し立てを受けて動き、人権侵害があるなしを判定する委員会です。
もう一つが放送倫理検証委員会です。こちらは基本的には誰かが申し出るのではなくて、毎日たくさん寄せられる視聴者意見をもとに、「放送された内容に虚偽、うそがあるのではないか」「放送倫理上の問題があるのではないか」などということを検討する委員会です。

それに対して青少年委員会は、放送された内容、番組の作り方、演出あるいはそこに出演する青少年の人たちの立場から、これはさまざまな改善点があるのではないかということを視聴者から寄せられた多くの意見をもとに検討しています。放送の内容が青少年の立場を守っているか、あるいはそのコンテンツを青少年が視聴することは多くの問題につながるのではないかが重要なポイントです。分かりやすい例で言うと「この場面を子どもがまねすると危ないのではないか」などと話し合いますが、「はい、これは問題がありますよ」という形で終わるだけではありません。ここから先がありまして、私たちはそういうようなことがないように皆さんと協力しながら、「どうしたらよりよい、青少年にとっても有意義な番組ができるか」ということを日夜、考え続ける委員会なのです。
皆さまにとって放送を提供する、あるいはそれを制作する立場にとって、どういうことに気をつけなくてはならないのかや、ここはこうすればよかったのではないかということを一緒に考えていく委員会なのです。

【テーマ1】《認定こども園・殺人未遂事件で園側に取材制限された問題について》

まず、地元局の代表社による問題提起がありました。それを受けて弁護士の池田委員から「取材の自由とのプライバシー」について論点整理の説明があったのち、意見交換しました。

〇代表社の問題提起
事件が起きたのは今年(2024年)6月7日の午前11時ごろ、鹿児島市内の認定こども園でのことです。子どもを預かる施設内で、2歳の男の子の首を21歳の女性保育士がカッターで切りつけたという事件です。男の子は全治1カ月の傷を負い、一命を取り留めていますが、加害者の女性保育士が殺人未遂の疑いで逮捕されました。さまざまな問題を考えるきっかけの材料の一つになればと思い、この話をしようと思います。
状況としては園内の庭で子どもたちが遊んでいて、その園の玄関付近にいた男の子ひとりを傷つけたそうです。「みんな建物に入って」と呼びかけて子どもたちが戻って来たら、その男の子だけが倒れていて、事件だと分かったということです。
逮捕後に接見した弁護士に取材したところ、保育士は「殺すつもりはなかった」と言い、凶器のカッターナイフはあらかじめ用意したものではなく、「園内での作業用に持っていたカッターナイフを使いました」と話したということです。仕事や人間関係で悩みを抱えていて、精神的に追い詰められたという話もしていたそうです。あとは、「子どもに対して感情が高ぶって思わず手が出てしまいました」と話し、「子どもに対して申し訳ないことをしました」という反省の弁を述べていたそうです。これは弁護士への取材ですが、女性保育士は逮捕容疑で6月28日に起訴されています。同じ日に、この事件に先立つ6月3日の朝、別の女の子を園内にあった家具に頭を打ちつけたかして1週間のけがをさせたということが新たに分かって、傷害容疑で再逮捕され、こちらはその後、追起訴されています。こちらに関しては、(7日の事件で)逮捕された後にこの女の子の母親から警察に相談があって発覚したようです。7日の事件がなければこちらの傷害事件は分からなかったということになります。
このニュースは内容からするとかなり衝撃的な事件ですが、鹿児島県内の当時の状況を思い起こすと、鹿児島県警察本部で少女をめぐる事案を本部長が隠蔽したのではないかという問題から、警察本部の一連のごたごたがあって、ニュース報道のメインはそちらだったかなという感じでした。我々もそちらに軸足を置いて取材していたところがあって、このこども園の事件まで実はあまり手が回らなかったところがあります。

この事件をなぜ取り上げたかと申しますと、取材の厳しさがちょっと際立った事件だったのではないかとの印象を個人的に持っているからです。例えば事件の翌日に保護者説明会が行われましたが、説明会自体の取材はシャットアウトで、建物の外観だけを撮影して放送する形になりました。このときはこども園の代理人弁護士がペン取材の窓口になってくれて、説明会の内容を聞きました。しかし、園側が公式の説明をする機会は全くありませんでした。ちなみに園側は、(発生から5カ月が経過した)現在でもまだ、記者会見や正式な説明は行っていません。
一般的にはこうした場合、子どもを預かる施設側がガードを硬くするのは当然のことで、それ自体は全く珍しいことではありません。園側が全く取材に応じてくれないので、こちらとしては警察への取材に全力を挙げるとか、あるいは関係する弁護士への取材などもするわけです。そのほか何とか当時の園内の様子を知ることはできないか、また逮捕された保育士がどんな人物だったのかなどを、身近にいてよく知る人たちということで保護者にも取材したいと思い、さまざまな方法を使って接触したいと考えました。
そのうちの一つとして、園の付近の公道で保護者に接触しようと試みましたが、園側の関係者がそこに止めに入ってきました。あくまで取材は公道上で何かを強制する取材ではなく、「よろしければお話を伺えませんか」という類いの取材だったわけですが、そこにも止めに入ってきました。そこまでいくと取材規制としてどうなのかと思いました。
こちらのできることとしてほかには、逮捕された保育士の学生時代を知る人物にインタビューをしました。容疑者(被疑者)は非常に子ども好きで、3日の事件についてもすごく反省しているという話を学生時代に主に交友のあった男性がインタビューで語っています。となるとますます、その人物像と事件との間にかなりのギャップがあるなという感じがします。こうした中で、園内で何が起きていたのかとか、例えば勤務管理の問題なのか人間関係の問題なのか、その事件の本質になるべく迫りたいと思ったときに、こちらとしてはあの手この手で取材しようと思っても、なかなかうまくいかなかったという印象があります。
当然ですが、メディアスクラム的なものを警戒するという園側の懸念はよく分かりますし、子どもたちを不安にさせたくないという思いも非常によく分かります。ただ、2歳の子どもが園内で、しかも保護する立場にある保育士からカッターで傷つけられる。これは尋常なことではないので、なぜそういう事態になったのかという観点で、その当時の園内の状況に関して知りたいことはたくさんありますが、それらに正直言って迫れていないという感じがしています。
ちなみに、まだ裁判も始まっていないので、事件についてはよく分からないことだらけの状態です。事件の背景にどういうことがあったのか、そういうことを明らかにするのは子どもたちの安全にも関わることですし、我々としても意味のあることだと思っています。この問題についての概略と我々の思うところは、以上です。

○池田委員
私から「取材の自由とプライバシー」というテーマで論点整理をさせていただきます。
初めに総論です。ここはごく簡単に申し上げます。
まず報道の自由と取材の自由について、最高裁が何を言っているかをお話します。昭和44年(1969年)の最高裁大法廷の決定「博多駅テレビフィルム提出命令事件」で、最高裁は報道の自由について、「報道機関の報道は、民主主義社会において、国民が国政に関与するにつき、重要な判断の資料を提供し、国民の知る権利に奉仕するもの」と判断しました。はっきりと報道の自由は、「表現の自由を規定した憲法21条の保障の下にある」と述べています。
これに対して、取材の自由について同じ事件の決定で何と言っているかというと、報道機関の報道が正しい内容を持つためには、報道のための取材の自由も「憲法21条の精神に照らし、十分尊重に値する」と言っています。報道の自由については憲法21条の保障の下にあると明言しているのに対して、取材の自由に対しては言い回しが少し異なります。これをどう解釈するかですが、一般的に学説では、保障の程度について報道の自由に比べると取材の自由は一段低いと解釈されています。ただし、取材の自由についても憲法で厚く保障された表現の自由の一形態であることは、ここで強調しておきたいと思います。
続いてプライバシーの話に移ります。これは憲法13条が定める個人の尊厳の確保から導かれるものです。具体的には、東京地裁の昭和39年(1964年)の古い判決(「宴のあと」事件)ですが、そこでプライバシー権は「私生活をみだりに公開されないという法的保障ないし権利」と定義されました。また平成15年(2003年)の最高裁判決では、個人に関する情報について、「本人が、自己が欲しない他者にはみだりにこれを開示されたくないと考えることは自然なことであり、そのことへの期待は保護されるべきものである。これらの情報はプライバシーに係る情報として法的保護の対象となる」とも述べています。
さて、報道の自由、取材の自由とプライバシーが皆さんの仕事の現場でぶつかることは本当によくあることだと承知しています。これを裁判ではどう調整しているのかというと、結論から申し上げると、個別事案ごとの判断で、実際には比較衡量なのです。報道の目的、態様、そのほかの諸要素と、プライバシー侵害の内容、程度、そのほかの諸要素とを天秤にかけるような比較衡量で個別事案ごとに判断しているのが裁判の実務です。その報道に社会的な意義がある、今回のような事件ですね。これは報道機関の「正当な業務行為ですよ」といえるのであれば、プライバシーの侵害は違法とは評価されません。ただ、事案によっては報道の自由を考慮しても、「ここはもう少しプライバシーを大事に扱わなければいけない、保護する必要性が高い」と裁判官が考えたのであれば、その報道取材によるプライバシーの侵害は違法と評価され得ることになります。ざっくりとした抽象論になってしまいましたが、個別事案ごとに具体的に考える必要があります。

ここから本事案について視点の整理に入ります。あくまで私の推測であって皆さんからもご意見を伺いたいところです。
本事案でまず考えなければいけないのが、被害を受けた子ども、そして、その親(被害者の保護者)の視点です。この子どもには何が何だか分からないでしょう。その親にしてみればこういう事態が突然降って湧いたわけであって、とにかく自分の子どもの身体、精神を守りたい、守ってほしい、そして、どうしてうちの子が被害に遭ったのだろうか、一体何があったのか、なぜこんなことが起きたのか、大きな動揺、悲しみ、怒りの中にある、そのような状況だと思います。
そのほか、この子どもの友達、またその保護者の皆さんの視点から、やはり同じように、なぜいちばん守られるべきはずの場所で子どもがこういう事態に遭ってしまったのか、なぜこんなことが起こったのか、早く園から説明がほしい、動揺、悲しみ、怒りの状況にあることは想像に難くありません。
それを踏まえて、こども園の視点ですが、園として事件後に最初に考えなければならないのは、何より傷つけられた子ども、その親への対応、そして周りの子どもたちや保護者の皆さんへの対応です。とにかく子どもの命を守り、動揺と不安を静めることを第一に考えていたのだと推測します。そこで、事件が起きた翌日に保護者会を開いて状況を説明し、園の対応を保護者の皆さんに理解してもらうという行動に出ています。その際に園としては、子どもたちや保護者のプライバシーを守る必要があると考えたのでしょう。さらに、園として、事件後の対応は、すでに捜査が始まっていますから、全て警察に任せているし指示どおりにしているということではないでしょうか。事情聴取にも真摯に対応しているし、そして、現在は第三者委員会も開かれているようですが、行政に対してもしかるべき報告をする、(行政側の)調査についても誠実に対応します、というのが園の立場ではないかと思います。
実際に取材の関係では、メディアの個別のペン取材に対しては代理人弁護士が対応したようですが、テレビカメラの取材は子どもたちや保護者の動揺を増幅しかねないので、基本としてご遠慮願いたかったという考えがあったのかもしれません。また、先ほどメディアスクラムについても言及がありましたが、新聞、テレビなど各社の記者、カメラマンに次から次へと取材に来られては対応し切れないという気持ちもあったのかと思います。

その上で皆さんメディア側の視点は、こども園で子どもが保育士の先生に切りつけられたという重大事件です。その事件を早く正確に広く視聴者、読者に報じる責務が報道機関にはあります。それに伴って事件の背景や核心に迫ること、それも皆さんが目指すべきものだと考えます。
本件で実際どうだったのか。皆さんからお聞きしたいところですが、メディアスクラムのような状況は排さなければなりませんが、取材のツールはペンだけでなくテレビカメラも必須と考えているでしょうし、それは私もそのとおりだと思います。メディアの個別の取材に応じないのであれば、別途記者会見を開くべきだと考えるのも当然でしょう。代理人弁護士が公道上からのカメラ取材さえ認めなかったというのは、なかなか承服しがたいのではないでしょうか。中にはメディアの取材に直接話したいという保護者もいたはずだと思います。実際に私も、ネットに保護者から保護者会で配布された資料が上がっているのを見ました。きっと話したかった人はいたのでしょう。

それでは、この問題についてどう考えるべきかということをお話します。本件は認定こども園で起きた事件です。こども園は都道府県から認定を受けて、公的な補助金を受給しています。しかも、コミュニティで起きた重大な事件です。なぜこのような事件が起きたのか、事件を起こした個人の問題にとどまるものではありません。園の運用や職員の勤務体制等に問題はなかったのか、ここはしっかり追及していかなければなりません。園側には事件を起こし、今は被告人となっている保育士を雇用していた責任があります。その勤務状況や園全体の雇用環境、再発防止策等について説明する責任があります。それは保護者への説明にとどまるものではなく、社会的な責任でもあるでしょう。まさにこの事案は公共の利害に関わる事件であって、皆さんの報道には公益を図る目的があるのは明らかです。社会の正当な関心事であって、社会全体で共有すべき情報だと考えます。
そのような報道の意義が認められるこの事件において、取材に当たっての手段・方法の相当性も、ここは別途きちんと考えなければなりません。信頼している保育士が起こした事件で、子どもやその親の心情への配慮が不可欠です。園としても想定外の事態が起きて慌てふためいている状況でしょう。その中で子どもを守り、保護者に説明する、そこがまず第一だろうと思います。それを踏まえた上で報道側の皆さんとしては、子どもを守りながら報道するタイミング、どの段階でどう折り合うかということを一緒にここで検討し、考えていきたいと思います。ただ、今回は取材制限の問題があって、それはまた別の問題だと考えます。

最後に、報道の意義、使命についてあえて私から申し上げたいと思います。まず報道の意義は、主権者であり統治の主体である私たち、民主主義の運営者である私たち市民が自由に判断し自治ができるように必要な情報を提供すること、つまり民主主義の基盤をつくることです。申し上げるまでもなく、その際に取材、報道の対象者への配慮は必要です。
つぎにジャーナリズムの独立性を挙げたいと思います。ジャーナリズムは取材対象の利害にとらわれないように独立を保つことが大切です。今回、園側の代理人弁護士との間で実際に起きたように、ぶつかること、報道される側の意向を代弁する弁護士と衝突することが皆さん多々あるのではないかと思います。代理人弁護士は、(依頼された側の)当事者の要望に沿う報道を要求します。しかし、報道については報道される側の利益のために報道したりしなかったりを決めるものではありません。広報機関ではないのですからね。社会で共有すべき情報であれば、たとえ当事者が嫌がろうとしっかり報道する。そういう意味で独立ということを挙げました。
今回問題になったのは取材拒否ですね。これは皆さんが日々遭遇している問題でしょう。これに対して、抽象的な話になってしまいますが、私から幾つか考えられることを申し上げたいと思います。1点目、今回のような場合、報道機関の皆さんが一緒に対処するということ。これはよくメディアスクラムの問題に対処する際に行われていることではないかと思います。各社が協力して、たとえば代表を出して取材を求める、インタビューを求めるというようなことが考えられると思います。
2点目は弁護士への申し入れです。今回、園側に代理人弁護士がついて、そこでかなりいろいろ制限がかかっていたようですが、取材の現場での対応が難しいようでしたら、おそらく各社に顧問弁護士がいるかと思いますので、現場の記者からデスクに上げて、デスクから顧問弁護士に相談するなど大いにアドバイスを得てほしいと思います。それを踏まえてどう交渉していけばいいのか、取材相手の弁護士に臨む姿勢を顧問弁護士の助言を踏まえて検討し、行動してほしいと思います。
3点目として提案したいのが、実際に私も東京で行っていることですが、記者と弁護士との意見交換会を考えるとよいのではないかと思います。要は日頃から互いに顔の分かる関係をつくりましょうということで、互いの立場を理解できるようになるというのが目指す姿です。私が入っている日弁連・人権と報道に関する特別部会では、年に3、4回、各回1つのテーマを決めて懇談会を行っています。例えば先日は公益通報者保護をテーマに、どのような制度でどういう問題点があるのか、弁護士と記者の皆さんとで勉強会をしました。大人数ではありませんが、それぞれの問題意識を共有したり一緒に勉強したりする場があります。鹿児島でもそういうことはできるのではないでしょうか。
特に現在、鹿児島県警の問題などがあって、そこは弁護士の興味関心、考えるところと記者の皆さんが考えるところと同じ方向性で目指すベクトルが一緒の部分も結構あるだろうと思います。弁護士と報道記者とがぶつかる部分で多いのは、犯罪被害者に代理人弁護士がついた場合でしょう。こども園のケースもそれに近いです。ただ、たとえ相反することがあっても日頃から互いの顔が分かる関係をつくっておけば、いざ自分の知っている弁護士が犯罪被害者の代理人になっていても、弁護士としてもこの記者に対しては例えばこの情報は渡すからここで引いてくださいとか、そういう交渉の仕方があるということです。
調べてみたら、鹿児島県弁護士会の弁護士の人数は令和6年(2024年)4月現在で225人でした。私の所属する東京弁護士会は9,000人を超えています。東京でできていることが鹿児島でできないわけはないでしょうし、よりこぢんまりと密な関係を築いていけるのではないかと思います。日頃からのコミュニケーションを図って関係性をつくっていくことによって、互いにとってウィン・ウィンの良い関係を築いていけるのではないでしょうか。

<意見交換>

〇参加者
貴重なお話をありがとうございました。私は当時、この事件の取材で現場に入りました。先ほど話のあった取材制限、取材拒否という観点で言うと、在京キー局からも取材クルーが入って、閑静な住宅街はものものしい雰囲気にはなっていました。その中で、こども園の代理人弁護士から周辺での取材を控えてほしいという通知がありました。とはいえ、園への取材も代理人弁護士が立ちはだかってなかなかできない中で、私たちは園の職員でもある被疑者のふだんの様子やこれまでのトラブルなど、周辺への取材で明らかにしたいという気持ちが多くありました。
そこで当社の記者が周辺に取材を試みましたが、そのことが代理人弁護士に伝わって、厳重注意という文言を用いた連絡が来て、「牽制された」ことがありました。また、こちらは代理人弁護士から各社に通告された原文のままですが、「あまりにも目に余るような取材状況であれば、このような回答は今後できかねます」と園への取材に対する回答さえも拒むような、圧力をかけるような文言があって、取材活動の萎縮につながりかねないなと感じました。こうした連絡があったことで、自社の取材活動のために全社が弁護士から回答を得られなくなるかもしれないという懸念も覚えました。
池田委員が指摘された弁護士への取材努力、人間関係づくりが必要で、我々もそういう関係づくりというところで努力できる点はまだまだあったのかなと感じています。

○池田委員
代理人弁護士が取材に制限をかけるのは、園の意向によるものだと思います。園の代理人弁護士の立場として、園の要望、例えば、取材を受けたくないとか、この時期にやめてほしいといった意向を汲んで、お話のあった「連絡や通告」がなされたものだと思います。
今までのお話ですと、公道からの取材も制限されたということですよね。各社に通告文が渡されたということですが、具体的にどういう行為に対する通告でしたか。

○参加者
私どもはふだん周辺取材をするとき、どのお宅が今回のこども園の被疑者とされる人物を知っているか分からないので、手あたり次第といいますか、地区を割り振って順々に声をかけていくという取材方法をとります。そういう「周辺取材全体をしないでほしい。してくれるな」ということを、厳重注意という文言を用いて牽制してきた状況でした。

○池田委員
公道からの取材もそうですし周辺取材の手法も、記者として当然の業務だと思うので、弁護士の「牽制」は行き過ぎではないかという感覚を持ちます。一方で、弁護士もいろいろですが、憲法を学び報道の自由などについて少なからず学んできていますから、対話をすれば分かりあえる部分もあるのではないかと希望的観測も持っています。皆さんのところに来た通告文のように、おかしい、これでは取材はおろか報道すらできないという状況であれば、皆さんが団結して対処することを考えてみなければならないだろうと感じます。

○吉永副委員長
このニュースは東京でも流れていましたから私も存じていました。保育士が2歳の男の子の首を切りつけたショッキングな事件でしたが、(東京では)この後の続報がほとんどありませんでした。情報を受ける側としては「あの後どうなったのだろう。保育士という職業を選んだ人がなぜ2歳の子を切りつけたのだろうね」と思うし、保育所に預ける親の立場では、これがいちばん不安の基です。公判がまだということなので、これから先、公判での内容がまた伝わるのかもしれませんが、やはりショッキングな事件であれば、代理人弁護士が立ちはだかるなどいろいろな事情があったのでしょうが、どうしたらこの続報が届けられるか、それをやる道はなかったのだろうかという思いがあります。
もう一つは、報道の自由やそれに伴う取材の自由というのがどれだけ遂げられているかという問題には、社会の反応というのがすごく影響していると思います。昔はメディアに対してこんなに門戸を閉ざすことはありませんでした。今は何か事件が起きるとその家はどうせ特定されるだろうというので、最初から「報道関係お断り」のような張り紙があちこちに貼られてしまいます。これは、本来ならその情報を欲している人たちからメディアが拒否されるということで、大変に悲しくもあり、それは決して私たち、情報を受ける側にとってプラスにはならない。この社会の流れの違いや変化が、皆さんにどう受け取られているのかなと考えます。昔なら代理人弁護士が出てきたところで、それに対して社会の側から「それは違うだろう」という雰囲気が伝われば、そう簡単には出てこられませんでしたが、今は社会全体が既存のメディアに対してものすごくきつくなっていて、取材がやりにくくなっているのは、それが一因ではないでしょうか。しかし、そのやりにくくしているものに社会の雰囲気というか、社会のメディアに対する姿勢の変化みたいなものがあるとしたら、それをどう分析されて、これから先、それをどう乗り越えていこうとしているのかをお聞きしたいです。

○参加者
池田委員の報道の自由と取材の自由の話は初めて聞いたものではありませんが、非常に明快に分かった気がして、改めて新鮮な思いでお聞きました。また、吉永副委員長の話とも少し重なりますが、取材を拒否したい相手の言い分としてよくあるのは「警察には協力していますから警察に聞いてください」「市役所なり県なりの調査には協力しているので、そこに聞いてください」「報道の皆さんには取りあえず答えられません」というスタンスで言われることです。これは今に始まったものではなく、実は以前からあります。昨今の風潮としてそれが非常に強まっているなと感じます。

○参加者
私はこの事件の一報を受けてまず思ったのは、子どもがカッターで切りつけられたという衝撃的な事件であり、ひとつ視点があるとしたら、(逮捕された被疑者が)21歳の保育士ということです。被疑者の人権(への配慮)もあって、この一報があったときの警察の発表文には「鹿児島市内」としか載っていませんでした。5W1Hの要素が欠ける中で、現場探しから始まったというのが現状です。しかも、この21歳の保育士がカッターナイフで切りつけたのは首のあたりだったので殺人未遂という大きな見出しがつくわけですが、傷害レベルなのか、(殺人未遂容疑なら)本当に深く突き刺したのか、そういったことも当局の一報段階ではありません。だから、どこまで取材現場に記者を出して取材するべきものなのか、全国ニュースにするのか、今やネットがあるので、ローカル用に出稿しても全国ネットになるわけですが、どこまで大きく報じるべきなのかという点について、被害者の取材も必要ですが、このような判断を迫られた記憶があります。
もうひとつ、代理人弁護士との意思疎通の問題で言いますと、なぜ弁護士がそこまで頑なにメディアの取材を制限するのかという点では、メディアへの信頼がない。だから、一方的な言い分ばかりしてしまうというところもあるのではないでしょうか。落ち着いて事案の事実関係を詰めていって、そこで取材先ときちんとコミュニケーションをとる。それは立場が違っても、そうした関係を構築していかないといけない。それは当局との関係でも一緒です。しかし、こちらの(鹿児島の警察)当局自体にいろいろと問題があって、緊張関係はあってもいいのですが、なかなかメディアとの本来の信頼関係が構築されないのが、問題の根本にあるのかなと思いました。
池田委員が話したように、ふだんからメディアのやっている取材の意義とか考え方などについて、(地元の弁護士と)コミュニケーションを図っていくことはものすごく大事だなと思います。それは当局に対してもそうですし、我々(メディア同士の)間でもそうだと思います。

○池田委員
外から映す園の映像に関連して申し上げると、園の前で騒ぎ立てて近所迷惑になる、通行を妨害するなどという状況がなければ、基本的に公道からであれば取材は制限を受けるものではなく、今回の園側代理人弁護士による制限は、やり過ぎではないかという印象を個人的には持っています。
皆さんが園に対して取材をしたいのは、先ほどの繰り返しになりますが、なぜこういう事件が起きたのか、日頃の園の運営体制はどうだったのか、ふだん、この保育士(被疑者)はどうだったのかなど、この事件が起きた真相、背景に迫るためでしょう。5W1Hで語るだけでなく、本当の理由を皆さんは探っていきたいのであって、そこに私は報道・取材の意味を強く感じます。1社だけでの対応が厳しいのでしたら、数社で協力し合うとか、さまざまな方法を考えて、そこは攻めるべきですし、きちんとすべき取材であって、それが社会の要請に応えることだと考えます。

○吉永副委員長
きょうの話で一番驚いたのは、私たちは6月7日の首を切りつけた事件は知っていましたが、その前の3日に被疑者が暴行してけがをさせていることは全く知りませんでした。それで、びっくりしたのです。これは彼女が再逮捕されたことで分かった事件ですよね。それまではこの被疑者がこの事件を起こした背景、なぜこんなことを起こしたのだろうというところにアプローチしていくのがポイントになるのですが、この事件の前にも似たような事件があって、その時点できちんと(園側が)対応していたら7日の事件は起きなかったかもしれないと考えると、これは被疑者の背景ではなく、園がどんな職員管理をしていたのか、園が3日の問題を保護者にきちんと説明しなかったのはなぜなのかということが大事になります。このような筋立てをしっかりして、そこをしっかり取材することで、ある程度の壁(代理人弁護士の取材制限)は突破できるのではないかという気がします。

○参加者
取材の仕方の話になりますが、園の近くの公道で取材すれば、それは止められるだろうというのが私の個人的な感想でありまして、私がもし取材するのであれば、送迎バスの後ろをつけて、降ろしたところで保護者をつかまえる、もしくは迎えに来た保護者を尾行して、園から遠いところで取材をする。間違いなく私だったらそうするだろうというふうに考えています。
ですから、少なくとも園が管理できる管轄エリアの中で取材をしようとすれば、取材拒否の対応をするのは当たり前ですので、それを超える取材方法というのを確立していないと、きちんとした報道はできないのではないかと私は個人的にそう思っております。
あと、このような弁護士がコメントを出さないというような場合に関しては、例えば県警記者クラブの連名で正式に弁護士に記者会見をするように申し入れるとか、各個別の会社が対応しても多分聞いてもらえないと思うので、ふだんは競争相手ですが、こういうときには取材の自由ですから、連帯することも必要かと考えます。

○参加者
吉永副委員長からあった、何を取材するべきかというポイントに絞れて取材できたかという点で言うと、確かに取材記者にきちんと指示できていなかったのかなと振り返って思うところがあります。実は、代理人弁護士が最初の「囲み取材」に応じたとき、この保育士が担任をするクラスでは複数人がけがをしているという話が出ていました。だから、(別の容疑で)再逮捕されるだろうなという予感は各社ともにあったと思います。ただ、そこに迫るには周辺取材もしないといけないし、もちろん強めに警察の取材もしないといけなかったと思います。その結果、その代理人弁護士が取材制限はしつつも、そこそこの情報は出してくれるので、「この関係を絶たれると厳しい」という現場記者の心理が働いていた気がします。では、どうすべきだったのかというのは私自身も答えは出せていませんが、そういう背景もあったように思います。

○参加者
当時、被疑者を知る知人によると、本人の言い分としては「けがをさせてしまったことがある」という話が過去に出ていたり、最初の逮捕から2,3日後の代理人弁護士の話の中で、同じクラスでけが人がけっこう多いということがあったりしました。そういう点から、保護者会での説明に納得したかどうかも含めて、何かメディアに直接伝えたい保護者がいたのではないかというところがありました。当社としてもそういった複数の情報があるからには何かこの園で問題があるのかもしれないとみて、記者に対して、クラスで何が起きていたのかを何とか取材するよう動かしたのですが、代理人弁護士との関係だったり、そういうところで名刺をさらされたりがありつつ、一方で、当社が突っ走ると今度は他社に迷惑をかけることになりかねない。また代表取材に走り過ぎると、取材したいものはそれぞれ社ごとに違う部分もあると思うので、難しい。協力しないといけないところは協力しながら、あとはメディアスクラムを起こさないようにするというところで、日々けっこう悩みながらやっています。今回はメディアに対していろいろ言いたい人が保護者にいただろうなと考えると、そこをきちんとつかみ切れなかったのは反省点ですし、被疑者が再逮捕されたのは事件から2週間以上たってからの話なので、何かそこまでの間にメディアとしてもう少しできることがあったのではないかと思うところです。

○吉永副委員長
本当に難しい問題だなと、聞いていて思いました。もしかしたらこの事件は地域の特質などは関わりますか。例えばこれが大阪で起きたらみんなしゃべっているかもしれないなとか、東京で起きても、けっこうしゃべる人はいっぱいいます。やはり何となく何か言ってはまずいよねとか、ここで本当は話したいことがあるのだけれども、自分がメディアにしゃべるとあとで大変なことになるみたいな、そういう抑制というのはあるのでしょうか。

○参加者
今回事件が起きた鹿児島市内は比較的都市としては大きいところですが、これまで20年近く報道に携わってきた中では、鹿児島では自ら言う人はそんなにいないかなと思います。やはり都市としては小さいところではあるので、そんなに積極的にというのは感じたことはありません。大阪だったらばんばん言ってくれるのかもしれないですが。

○参加者
私が若い第一線の記者で鹿児島にいたのはもう20年ぐらい前なので、だいぶ時代が変わったところはありますが、私の印象で言うと鹿児島の人はそんなにしゃべらないということはないと思います。全国的にはもっと閉鎖的な地域は多くあって、鹿児島の人はそんなに県民性として取材に対してそもそも消極的な土地柄ではないと理解しています。
あと、弁護士さんからの取材しないでほしいという申し入れ書などは、(東京で)社会部の事件担当デスクをしていた経験では、いっぱい来ます。来てもあまり気にならないと言いますか、それでも必要な取材はする。取材を受けたくないという意思表示しているわけですが、その人に絶対触れないとか取材NGだという意識はなくて、必要があればするけれども、接触するときのやり方には、社会的な非難を受けないようなレベルにするという配慮はあります。逆に、(申し入れ書を送ってきた)弁護士さん(の連絡先)が分かるということは、取材のチャンネルがひとつできるということでもあるので、最近は(取材のやり方として)かなり一般化していることだと思います。

○池田委員
弁護士といってもあまり怖がらないでほしい、怖がる必要はないと思っています。内容証明郵便による通告書には正しいことも書いてあるでしょうが、ちょっとこれはおかしいと感じることも書いてあるでしょう。だから、そこは冷静に周りとも相談しながら、ふだんはライバル関係にあっても協力して、面と向かっていくことは必要だと思います。
おそらく社内に顧問弁護士はいて、実際に取材や報道で困ったことに対して相談に乗るところもあると東京では聞いています。ただ、顧問弁護士がいるけれども、実際は人事や労務などにしか関わっておらず、報道の実務について的確なアドバイスを受けられない状況もあるのかもしれません。
そこで、どこに相談したらいいかというときに、ちょっと話がそれてしまうかもしれませんが、たとえば報道のジャーナリストを守っていきたいという弁護士が関わる「報道実務家フォーラム」というNPO法人があります。その活動の中で法律相談会を設ける取り組みも行われています。そうした活動を通じて、日本に会社の垣根を越えて報道、ジャーナリストの皆さんが相談できる報道弁護団みたいなものを作りたいね、という話があります。まだ形にはなっていない状況ですが、そういうことを考えている弁護士もいて、皆さんと協働できる体制をつくっていけたらよいと考えています。

○榊原委員長
まとめると、今の話は弁護士さんも決して怖くないということと、常に情報を交換しておくのが大事だろうということです。立場は異なるわけですが、その点はとても重要なのかなと思いました。

【テーマ2】《主に学校内で子どものカメラ取材の状況と問題について》

別の代表社による映像を使った事例報告と問題提起がありました。それを受けて意見交換しました。

○代表社の事例報告と問題提起
事例を2点ご紹介します。1つ目が2021年5月31日に放送したニュース「梅雨の晴れ間の運動会 願い込めたバルーン」というバルーンリリースのニュースです。(映像上映①)

ちょうどコロナ禍で2回目の緊急事態宣言が明けて少しずつ学校生活が戻ってきているときに、この学校の保護者からコロナ退散を願うバルーンリリースをするから取材に来てくださいということでした。久しぶりに学校行事を取材できるからということで出かけたのですが、学校側からこの角度で撮ってくれ、この場面は撮ってくれるなとか、取材依頼があったにもかかわらず学校側と保護者とのコミュニケーションがあまり取れていなかったのか、苦労しました。これは時間も相当かけて取材してきたニュースです。
季節の話題として小学校の始業式、終業式、運動会、卒業式などを各社も取材していると思います。こうした場合、前日までに小学校へ取材のアポ入れをしますが、年々こうしたアポ入れに「取材拒否です」とか、許可の調整に時間がかかるケースがかなり増えています。こうした事例は鹿児島市などの人口が多い自治体の小学校に多い傾向があります。また、取材窓口である校長や教頭によって温度差があることも事実です。実際この小学校ではこの前年までの校長をよく知っていたものですから、何の障害もありませんでしたが、校長が代わったときからかなり厳しくなったということもありました。
また、取材の許可が下りた場合でも撮影できる児童が限定されるケースがあり、「この学級だけ撮ってください」「この児童は撮影しないで」という指示を受ける場合も多くなりました。撮影できない理由を教えてもらえるケースはまれで、小学校によっては年度初めに、取材が入った場合、子どもが映り込んでもいいのかというアンケートを取っているところがあります。実際に取材現場では「この子はだめ。この子はオーケー」というのがある状況です。一方、こうしたアンケートを取らない学校もあって、鹿児島市に1校あるのですが、この場合、学校側が個別の家庭の事情を把握していないという理由で、どんな行事でも取材は受けませんというシャットアウトになります。
問題を感じている点としては、(公立の)小学校という公共の施設内でどこまで学校側の要望に応えるべきなのか、そして家庭の事情というオブラートに包んだ理由にどこまで配慮すべきか、ということで、日々悩んでいます。学校行事ならまだしも、いじめといった学校側の過失が疑われるような重大な事案が発生した際にも、家庭の事情ですとか、これまでの事例を盾に校内での撮影を拒否することになりかねません。こうしたことが常態化することを非常に危惧しています。
一方で、小学校の運動会や始業式など、そういう映像だけを集めてアップロードしているネットのサイトがあると聞きました。たとえば離婚して子どもに会えない、行方が分からない保護者が子どもの所在をつかむ手段としてこうしたサイトを利用していることも聞いています。我々はネットニュースにも非常に力を入れているところではあるのですが、我々の意図しない使われ方をする世の中にもなっています。シェルターに(DV被害や虐待から)避難している親子もいる中で、小学校行事のニュースをどこまでサイトアップするかということも今後考えていかないといけないと思います。

2つ目の事例ですが、通学路に小動物の死骸が放置されたという事案がありました。これは去年(2023年)3月10日に放送したニュースで、「通学路に切断された小動物の死骸 学校や警察が見守りやパトロール強化し注意を呼びかけ」というニュースです。(映像上映②)

概要としては、去年3月、鹿児島市内の小学校の近くの通学路上に、頭と前足を切断された小動物が放置されるという事案が連続して発生しました。動物虐待の事件のあと、凶悪犯罪が発生するケースもよくあるので、学校や保護者らが事案発生の翌日から集団登校を実施したほか、警察も周辺のパトロールを強化しました。特定の児童に危害が及ぶおそれや、小学校自体に恨みを持つ犯行という可能性が排除できないため、当社は児童、保護者が特定されない撮影の対応を取りました。
小動物虐待の事案についても通学路上の児童の個人が特定できないよう撮影に配慮しつつ、背後からだけや頭部を除く撮影など、どこまで撮影してよいものかということを日々ケース・バイ・ケースで考えているところです。
東日本ではよく熊が出没というのが聞かれますが、鹿児島ではイノシシが頻繁に出没していて、当社はこのニュースにも力を入れていて、視聴者が撮った映像を頻繁に流して注意喚起しています。先日も夕方5時ぐらいに住宅地に出没したということで、当社も取り上げましたが、こうした場合も集団登下校をします。当社は登下校までは撮らなかったのですが、この場合は相手がイノシシなので、児童が特定されたところで問題ないだろうと考えますが、各社で考えは分かれるところでしょう。どういうところで線引きを考えているのかを意見交換できれば、と思いました。

○代表社による補足説明
最初の運動会(バルーン・リリース)ですが、以前であれば当社は何の問題もなく取材して放送したでしょうが、今では顔と名前がそろうと個人が特定されるという意見が必ず来ます。上映した映像では、子どもたちが(コロナ禍の対応で)マスクをしているので、今のルールでは例外的です。今では運動会に限らず始業式や卒業式という場面でも顔と名前がそろうと、取材のときには特に何も言わなかった保護者が、あとになって「やばいかも」と気付き、「あれ(子どもの映像)は使わないでください」と申し入れてきて、その映像を放送から落とすことは、しばしばあります。特に最近では、その辺の意識が高くなってきたからか、よく言ってくるのだろうと思います。
あと、教室の中で名前が映ったりすると、それにも敏感に反応する保護者もいます。細心の注意を払って撮影しても、教室なのでどなたかの名前が映りこんでしまいます。卒業式、終業式、始業式に行くと名前が映り込むことは当然あるので、放送前に充分気をつけていることがあります。

<意見交換>

○参加者
(映像で紹介された)小動物の死骸が置かれていた小学校に私の子どもが通っていました。この学校は学年の初めに親にアンケートします。学級通信に子どもの写真を載せていいか。次の段階がPTA新聞に載せていいか。そして報道機関の取材に映っていいか、それぞれに対して丸をつけてくださいというのが、来るようになりました。私は報道に関わる者なので、全部丸にしました。小学校の中にはDV被害などから避難している子どもたちもいるので、そこは一定の理解をするのですが、ネットに出てしまうと顔だけ切り取られて、いかがわしいものに差し替えられてしまうなど何に使われるか分からないという理由で、ネットも含めた全てのことを拒否する保護者が一定数います。そういう中でテレビのニュースを録画する人はあまりいないのですが、それをネットに転載する場合は非常にリスクがあるなと感じています。
紹介された小学校の場合、登下校中は名札を裏返しにつけるように指導がされていました。歩いている登校風景をアップで撮ると名札と込みで顔が一緒に撮られてしまうので、「裏返しにするように」というかなり厳しい対策を取っていました。そうなると、入学式の撮影は事前に(保護者の)承諾を取れませんので、今後できなくなる可能性があるなと思います。
その一方で、こちらが気をつけても保護者自身がスマホで(SNSに)アップするので、報道側が伏せていたことも、「テレビのニュースで放送されますよ」という情報が拡散して、知らなかった人まで見てしまうという状況が生まれているのも事実です。これは報道側だけの問題ではなくて、皆が情報発信者になり得る時代なので、規制するのが非常に難しいところだろうと考えています。

○沢井委員
これこそケース・バイ・ケースだと思いますが、春の入学式や運動会シーズンなどの季節ものというか、学校では今こんなに子どもたちが生き生きと過ごしている。ある程度、名前と顔が同定できてしまうことは避けるにしても、子どもの生き生きとした表情、季節の日常を表すということであれば、オーケーを出した保護者と子どもに関しては、出してもいいのではないかと私は思います。
もうひとつあって、なかには「ここは子どもの意見を聞きたい」という取材もあるのではないでしょうか。私が気になるのは、子どもの様子を全部保護者に聞いて、子どもの意見を聞かないという取材についてです。つまり、どっちが好きといって指さすことだったら2歳児でも見事に意見表明ができます。その子の発達に即した表現はできると思っているので、むしろそういうことを引き出して、何を考えているか、本当はどうしたいとか、保育園や幼稚園の先生とはどういうとき楽しかったか、どういうとき怖いと思ったのか、などを聞きたいのです。心理学者は実験で引き出そうとしますが、マスメディアにも、今の日本の子どもたちの考え方を引き出すチャンスがいっぱいあると思うので、それはぜひ引き出していただきたい。
国連の「子ども権利条約」には、子どもには意見を表明する権利があるという規定があります。これは極めて重要なことで、子どもには遊ぶ権利があるというのと同じように、表現する自由というのは赤ちゃんのときから保障されるべきなのです。全ての人の人権は子どもも含むわけですから、そういうものを引き出す、むしろ積極的に子どもの考え方を映像化していただきたいと思っています。

○飯田委員
匿名化社会についての現状認識として、マスメディアに対する視線が厳しくなっている状況はもちろんありますし、ネットへの拡散リスクもきちんと考えなければなりませんが、ただ、特に学校の取材ということに関しては、それだけを気にし過ぎると現状認識を誤ってしまう気がします。
また、いわゆるコンプライアンスが今の放送業界の足かせになっているという言い方があって、これも半分は正しいかもしれませんが、コンプライアンスが強化されているのは別に放送業界だけではなくて、企業文化全般そうなっているわけです。匿名化という状況が進んでいるのも、メディアへの対応だけではなくて、学校文化そのものがそうなっているという面が強いと思います。
というのも、私には小学生の息子と保育園に通う娘がいますが、親(保護者)同士の匿名性が極めて高いのです。小学校のPTAの役員をやっていますが、コロナ禍を経て、対面での役員会をほとんどやらなくなりました。ほぼLINEグループでのやり取りだけです。LINEは、皆さんもそうかもしれませんが、(必ずしも)本名でやりませんよね。辛うじて性別が分かる程度です。PTAは圧倒的に女性が多いのですが、(プロフィール欄では)下の名前しか分からず、顔写真も載っていないことがほとんどです。なかにはディズニーランドに行ったときの写真をアイコンにしている人もいます。「◯◯(=子どもの名前)の母です」と自己紹介する人もいますが、皆が積極的にそうするわけでもないので、特に自己紹介もないまま議題が進んでいきます。誰とコミュニケーションを取っているのかよく分からないけれども、いろいろな物事がこうして決まっていく。それで回るようになってしまっているんです。
だから、「なぜ取材がだめなのか理由がほとんどわからない」ということについて、もちろんリスクを感じたり拒否感を持ったりする人もいるのですが、(学校に関わる全体が)そういう匿名的な状況にあります。顔をさらさないのがデフォルト、当たり前すぎて考えたこともない。(取材依頼に対して)学校がどう回答するかはともかく、保護者の側がそうなりつつあるという状況を、まず押さえておく必要があるだろうと思います。取材可否のアンケートはわが子の小学校や保育園もありますが、それ(匿名的な状況)にあまり違和感を持っていない保護者は、当たり前にバツをつけるでしょう。
これは学校文化だけではなくて、社会全体に広がりつつあります。たとえば古い本を読むと、奥付の著者紹介欄に自宅の住所まで明記されていることがあります。そこまで個人情報をさらすことに抵抗がなかった時代もありましたが、今は子どもたちにとっては、例えばAdoさん(女性シンガー)みたいな覆面アーティストをはじめとして、名前も顔もさらさなくても有名になれる、社会的に成功できることが当たり前になっています。「匿名」と「実名」の間に「顕名」という言い方がありますが、これは実名をさらさなくても、ある程度の有名性を獲得している状況です。それで社会が回っているし、社会的に成功できるという状況からすれば、顔と名前が明かされることの社会的な意味が大きく変わっていることを、あらかじめ踏まえておかないといけないという気がします。
そういう前提を踏まえて考えると、さっき1本目に見せていただいた映像の中で、運動会に(参加する子どもたちの胸のゼッケンに)フルネームで名前が入っていたことです。あれは仮縫いしているように見えたので、運動会のときだけつけていたのかもしれませんが、今はほとんどやらないと思います。カメラ取材が来るとなれば、なおさら映り込みなどを気にしますし、一般的に名札は防犯上ふだんからつけなくなってきていますので、こういうのは過渡的な状況であって、おそらく無くなっていくのだろうという気がします。

○参加者
私は6月に(東京から鹿児島に)赴任したばかりで、地元の取材にはちょっと疎い面がまだありますが、この間に感じているのはさまざまなコミュニティが狭い分、いろいろなところに気を使いながらの取材が多いのかなということです。
先ほどの最初の映像を見て私も、飯田委員と同じ感想を持ちました。名札がそのまま映っているのに驚きました。以前、映像編集を管轄する部署を担当していた経験では、あのような場合、映像全てに(部分的な)モザイク処理をしていました。今はそれが標準だと思います。(SNSなどを介して)どんどんネットにさらされるリスクが高まっていますし、今ではAIもあって、顔と名前が映像として出てしまうと、それらが全部蓄積されていくリスクもあります。状況はますます厳しくなっているという認識です。
子どもの取材に関しては、学校行事を取材する場合と、事件・事故を取材する場合とではある程度、異なるところがあるだろうと思います。というのは、行事の場合は大体前日までに「取材しますよ」と伝えることができるので、学校側でも予防措置といいますか、名札を裏返しにするとか、家庭の事情で映り込みたくない子どもは映らない位置にいてもらうとか、そういうリスクを抑える対応ができるでしょう。あらかじめ保護者に伝えておくことだって可能です。報道側と学校側とのコミュニケーションも必要ですが、そういう措置をした上で取材しないと、撮り終えてしまったあとになって「使わないでくれ」と言われるのが、最も困るところです。だから、そういうリスクを抑える対応の段取りをつけて取材できるのが学校行事だと思います。
事件・事故に関しては次の議題になるようですが、現場では先行して取材しなければなりません。とはいえ、子どもに対する取材では、どちらにも共通しているのは保護者だったり、教員だったりの許諾が必要だという認識でやっています。

○榊原委員長
大雨が降ったときなどの災害の取材で、子どもがそこにいる場合もあると思いますが、取材ができるときに記者の側で何か工夫している、あるいは苦労していることはありますか。

○参加者
鹿児島の場合、台風や水害が多いところです。特に今年(2024年)の夏は特別警報が初めて出た台風10号が来ましたが、そのときに事前に避難所に避難する人が多くなり、その状況を取材できるかどうかについて避難所によって対応が異なるケースがありました。子どもがいるかどうかは関係なかったのですが、そもそも自宅に居られなくなって避難してきた人たちを撮影するのか、という感じの状況が生じてきました。そうした状況で子どもにインタビューするのは、かなり厳しいと考えています。

○吉永副委員長
テレビがすごいなと思うのは映像の力ですね。たとえば小学校に入学する、もしかすると、その学校は前年に大きな風水害に遭っていたかもしれない。でも、入学式ですごく楽しそうにランドセルを背負って学校に行く子どもの表情を見たら、活字だと(原稿用紙で)100枚必要なものが、この一瞬の子どもの笑顔で何かが伝わってくる。映像の力はすごいと思います。しかし最近は、その子どもの顔をモザイク処理したり、顔にお面みたいなものをかぶせたりして報道しています。これはテレビが自らの力を自分の手で縛っているような感じがして、とてもとても残念なのです。
今は世の中が変わってきて、子どもの映像をネットなどで悪用する人もいるでしょう。でも、一人でもそういうやつがいたら配慮しなければならないのだとやっていくと、子どもの映像はほとんど何かをかぶせなければならなくなってしまいます。それはテレビメディアとしてどうなのでしょうか。どうしたら映像できちんと伝えることができるのか。せっかく子どもの顔を撮っても、全部モザイク処理したら、テレビが全部モザイクだらけになったら壊れたのかと思ってしまうでしょう。それはもうテレビではなくなってしまうではありませんか。そういうのを見ていると、時々このままでいいのか、テレビは本当にこのまま、子どもを守るという姿勢でこれをやり続けていくのか、ではどうしたらいいのか、という根本的な問題をきちんと考えていかなければならない時期なのかなと思います。やはり報じたいですよね、そういう子どもたちの喜びを。報じられなくなることに対する「しようがないよね、世の中がこうだから」というのではなく、テレビとしてもっと生きる道というのを真剣に考えないといけないと思います。
そのほか、事件や事故、災害時に子どもが重要な目撃者である場合ですね。(現場の記者が)「子どもからは聞けないのか」と考えてしまう。でも、子どもであっても自分の見たことを言葉にすることによって、自分の気持ちが客観性を帯びてきたり、立ち直るきっかけになったりすることもあり得ますよね。見てしまったことを伝えたいという思いもあるでしょう。その際に、子どもを取り巻く社会が以前とは大きく変わってきているので、ここには難しい配慮が要ると思います。
北海道でものすごい地震のときに地滑りがあって、家族全員が生き埋めになっている状況で、ひとりの男の子だけが助かったのです。その子にインタビューした映像を見ると、すごく明るくしゃべるのです。ハイテンションでね。それは分かるよね。突然襲いかかってきたことを子どもの目で受け止めきれないからハイテンションになってしまうのです。でも、それをテレビで見た人は「この子、(被災者なのに)明るいね」という印象を持ってしまうわけです。この映像が将来もずっと残っていく、あるいは学校で「みんなが生き埋めになっているのに、おまえは何なんだよ」という形でいじめられるのではないかと不安になりました。
この映像について考えたとき、災害現場では相手が子どもだから取材できないのではなく、子どもであっても報じなければならないし、聞かなければならないことがきっとあると思います。そのときにどれだけ子どもの側に立って、これを報じることで、どうすればこの子どもが傷つかないようにできるかという想像力が、相手が大人以上に必要になるだろうと思います。
こういうことは、ふだんから考えていないとだめですよね。現場にいきなり行ってしまうと、心ない質問をしてしまうことになる。その場合どうしたらいいのかと皆で考えていかないと、テレビの力というものが、どんどんなくなってしまうのではないかと心配になりました。ぜひ皆さんと一緒に考えて、局内で考えるだけでなくて、テレビメディアとして共通の大きな課題として考えていってほしいと思います。

【テーマ3】《フリートーク》

参加者に、日常の取材や番組制作を通じて関心を持っているテーマについて、自由に問題提起してもらいました。最初にラジオ局の参加者から「性的少数者の子どもに対するインタビューについて」発言がありました。

▼LGBTQなど性的少数者の子どもに対するインタビューについて

○ラジオ局の参加者による問題提起
当社は報道部門もなければ映像もない(ラジオの)世界なので、(テレビ局の)皆さんのご苦労を「そういうことがあるのだな」と思いながら聞いていました。
さて、LGBTQ(性的少数者)の当事者の大人にインタビューしますと、子どもの頃にメディアで取り上げられているのを見て、これ(自分の性的指向や性自認)は人(他者)に言ってはいけない、隠さなければならないと思った、という経験談が大体出てきます。時代が大きく変わって、表現も変わってきた中で、直接的なマイナスのメッセージはなくなってきたという雰囲気は感じつつも、言葉の端々、表現の端々で否定的なところにつながる、従来の価値観で表現してしまっているところがまだあります。これにはどのように配慮すべきなのかが、すごく難しいと思っています。
我々も番組制作で、実際に幼稚園や保育園などに取材に行くことがあります。学校の場合もあります。そうしたときたとえば、今ではジェンダーレスという視点から(男女とも)スラックスの制服が出てくることがあって、そうした点に「あまり触れないように」というのはおかしいですし、だからといって「では、どのように取り上げるか」という指針のようなものを持ち合わせていないので、スルーせざるを得ないことがあります。
あとは、質問の最初に「男の子か女の子か」というのを大体聞いてしまうことでいいのか、どのように聞くべきなのか、その触れ方はどのようにするべきなのかというところが、日常の番組制作でちょっと悩ましいと感じています。

<意見交換>

○吉永副委員長
LGBTQの問題は社会がどのように受け止めているのかと関係していて、表向きは皆、頭で理解しているものの、「でも、同じアパートの隣に住むのは嫌だ」などと本音と建前の部分が非常に入り組んでしまっていて分かりにくいなと思います。

○参加者
ケース・バイ・ケースだと思いますが、私の経験で言うと、2020年ごろ佐賀にいたとき、高校の制服を女子生徒も、さきほどの話にあったスラックスが履けるようにする動きが県内で初めてあって、その関連でインタビュー取材をしました。その相手は生まれたときの性は男性ですが、メンタル的には女性であり、中学生、高校生のときに学ランを着るのがすごく嫌だったという話をしてくれました。その女性の取材をするときに、はじめは「家の周りの人はもう皆、私のことを知っているので、近所の公園でいいですよ」と申し出があったのですが、取材の記者には「ちょっと待てよ」と伝えました。家の近所では確かにそれで通っているのかもしれませんが、テレビに出れば不特定多数の人が見るので、それは待てよという話です。それで、あえて局舎近くの公園に来てもらって、そこでインタビューしました。
女性はまた「私はYouTubeでは顔を出しているので、(放送で顔が出ても)全然いいですよ」と話していました。しかし、こちらもYouTubeは彼女のことを知っている人、見たい人だけが見る世界なので問題ないでしょうが、テレビに出るのはちょっと違うことなので、後ろ姿を撮影して顔が映らないように配慮して放送しました。音声を加工して変えることはしなかったはずです。
その放送をした数日後に佐賀市内でLGBTQの人たちが参加するイベントがあって、その様子を地元の新聞社が取材して写真つきの記事が紙面に出ました。そこには女性の顔もあって、YouTubeで名乗っている名前もありました。その後にトラブルがあったという話を聞かないので、テレビの側の私があまりに意識し過ぎたのかなと思わないでもなかったです。何が正解だったか分かりません。たぶんこの4、5年ぐらいのところで、LGBTQの人も含め、だいぶ意識が変わってきているのだなと思い、こちらの意識があまりついていけてないのだろうという気がしました。

○榊原委員長
ジェンダーなどが社会的に開かれている方向に行っているときには、それを促していく働きもテレビやラジオにはあるだろうと思っています。ただ、相手が大人でも非常に難しい。今お話しされたように、あまり出しすぎてしまうと後のことが心配になり、では逆に隠せばいいのかという話になりますね。とても難しい問題だと思います。
メディアの役割はどうしても後ろ向きになりがちですが、メディアというのはたくさんの人が見ていて、「中高生モニター報告」を読んでいるとそれを感じます。テレビやラジオに対して皆、真剣に見聞きしていますからね。

○飯田委員
「中高生モニター報告」の話がありましたので説明しますと、青少年委員会に対して毎月、中学生と高校生の計30人のモニターが、(毎月の)テーマに当てはまる番組の感想をリポート形式で送ってくれます。それをもとに委員会で議論するのですが、自由記述欄もあって、ふだんテレビを見て、あるいはラジオを聞いていて気付いたことを自由に書いてくれます。
それを読むと、今の中高生はジェンダーに関する意識が本当に高まっていることがわかります。先ほど議論になった「匿名化」が社会全体の変化であるのと同じように、学校教育の中でも特にSDGs教育の一環で、ジェンダーフリーの話が盛り込まれていて、「性は二項対立ではない」ということが小中学校で常識になっています。モニターのコメントを読むと、とくに高校生は、テレビにおける性の表現が遅れていることに関して、かなり厳しい目を持っている子どもが多いなという印象を持っています。たとえば、男性チーム/女性チームに分かれたり、「男性が青」で「女性が赤」だったりすると、「テレビはちょっと遅れていると思いました」となります。
また、男性は「君」女性は「さん」という呼び方も、学校の教員はもうしませんので、テレビでは男性アイドルに対して「君づけ」することに対して違和感を持つ若い人もいて、(必ずしも)批判ではありませんが、引っかかりを感じているようです。中高生はそのあたりの意識が急速に変わってきていると思います。
LGBTQの人たち、とくにトランスジェンダーを取材対象として取り上げるときだけ、意識を一瞬だけ高めるのではなく、ふだんの取材活動や番組制作で(こうした変化に)どう対応していくのかを日常的に考え、じわじわ浸透させていくことが、長い目で見れば意識の変化につながってくるかと思います。社会全体の変化に対する認識をしっかり持っていく必要性は、大学でも常に議論している話ではありますが、同じことが放送も求められると思っています。

▼逮捕された被疑者(容疑者)の顔写真を報じることについて

○代表社の参加者
私はまだ記者3年目ですが、きょうはいろいろと話があって参考になりました。最初に議論した認定こども園の問題については、私も取材をずっとしていて、今も継続しています。取材していて思うのが、報道の仕方が最初の段階ですごくスキャンダラス化してしまったな、ということです。現場には、在京キー局の取材クルーが来るし、私たちも一気に取材をかけるし、メディアスクラムにならないようにしても、現場周辺、園の周辺には、メディアがすごく集まってくる。そこに子どもを通わせている保護者や園の代理人弁護士らを刺激してしまった。どちらかといえば被疑者側のプライバシーに配慮というか、慎重にやっておけば、もう少し尊重し合って取材できたかなと個人的には思います。
さてこれは、(ニュース報道の)根本的な話かと思いますので、BPOの委員の皆さんにお聞きします。被疑者(容疑者)が警察署から検察庁に送られるときの映像や、この被疑者の顔写真がよくメディアに出てくるのですが、そういう顔というのは見たくなるものなのでしょうか。

○榊原委員長
私は小児科医ですので、子どもの発達や保育にも関わっています。先日、モニターになった数人の保育士さんからヒアリングしました。保育士の現場で皆が今いちばん気にして悩んでいるのは、まさにこの事件なのです。「私たちの保育に関して、ああいう(保育士が園児を傷つけるという)ことが保育の現場にあること、それが今いちばん頭が痛い」と話してくれました。この事件の影響に、とても波及性があったようです。
だから、今ネットに押されていると言われながらも、テレビやラジオはとても大きな影響を与えるのだと思います。
(被疑者の顔を)見たくなるかどうかは、一般的に見たくなるものでしょうかね。どうですか。

○吉永副委員長
見たい人はいるのではないですか。ただ、今は皆(見たくなったときに)ネット検索をかけると思います。テレビメディアは(被疑者が)送検されるときに、その映像を撮らなければいけないとの思い込みがあるのか、ニュースでは必ず放送されますね。送検したという事実は、あの映像がなくても伝わります。これ(被疑者の映像)で何を報じようとするのかということだと思います。
一方、テレビを見ている側は、これを放送する意味があるのかと思ってしまいます。これが必要かといったら、見たい人はいるのでしょうが、今まで当たり前のようにやってきたことが、ただ当たり前のように続いているだけなのかとも思えます。
ネット検索すると、(被疑者の)学生時代の写真などが出回っている。この人が更生しようとするときに、そのことがものすごくネックになって、更生できない場合もあるでしょう。私は今、社会復帰する人を支援する仕事もしているので、メディアなりネットなりにさらされてしまうと本人は罪を償ってきたつもりですが、「もう一回何かの犯罪に手を染めて(刑務所の)中に入るか、あとは自分で死ぬしかない」という言葉を聞きます。ものすごく重く感じますね。

○沢井委員
被疑者が護送車で送られるときに、(テレビのカメラマンが)特殊なカメラを使っているのか、暗くてもよく映るので、私もときどき、思わず見入ってしまうことがあります。それは、表情なのです。こういう事件を起こす人はどんな人かという心理的な好奇心があります。
「ああ、やはりそういう人がいるのか」というところを見たいのかなと思います。どんな顔というより、どんな表情で、表情からその人の心中が察せられるのではないかという知的好奇心も当然あるでしょう。ただ、その後の更生などを考えると、被疑者の人権をどう守るかという点ではちょっと微妙ですね。そこまで追いかけ回さなくてもいいのかもしれませんが、でも見入ってしまうことはあるでしょう。それをケース・バイ・ケース(で対応)とするのは難しいですね。その点で私は、取材の塩梅というのが分かりませんので。

○飯田委員
インターネットでは今、「私人逮捕系YouTuber(ユーチューバー)」と呼ばれる人たちが人気を集めています。「メディアが報じないなら自分たちで突っ込んで、(悪いことをしたとされる人物の)顔をさらして皆に見せてやる」といったスタンスで、多くの支持を得ています。チャンネル登録者数も増えている状況から、一定のニーズや欲望があるのは間違いありません。「ネットには出ているのにテレビで報じない」ことに対する批判もよく耳にしますが、今は過渡的な状況かもしれず、今後、そういう欲望を満たすのはネット(の傾向)であって、放送はそれとは違う役割を果たせばよい、と切り分けられる時代が来るといいなと個人的には思います。放送に携わっている皆さんが(ネットを意識することなく)そういう方向に向かっていけばよくなる可能性が、これから十分あるのではないかと考えています。

○池田委員
すばらしい質問だと思います。報道に当たって何を伝えることが重要なのか、どこに報道の意義があるのか、常にそれを基本に戻って考えるということが「基本の基」で大事なことだと考えています。
逮捕は公権力の行使で、それを監視すべきという意味では報道の最たる役割だと思います。とくに被疑者の関係では、こういう被疑事実をもって逮捕に至ったということを歴史的に記録する意味もあります。ワイドショー的な興味関心とは離れて、報道の立場として事案の軽重も考慮したうえで、被疑者の映像を使うことはありだと思います。
一方、申し上げるまでもなく、被疑者・被告人の人権も大変大切です。たとえば逮捕に関わる時点で映像を1回だけ放送するとか、ネットのニュースサイトでは一定の配慮を施すなどの対応はできるのではないでしょうか。

○榊原委員長
時間となりました。本日は長い時間にわたってさまざまなご意見をいただきまして、本当にありがとうございました。

事後アンケート 概要

意見交換会終了後、参加者全員にアンケートの協力を依頼し、9割以上に当たる19人から回答を得ました。その概要を紹介します。

  • ▼(テーマ1)「認定こども園・殺人未遂事件で園側に取材制限された問題」の意見交換について

    • 池田委員の明晰な論点整理が大変参考になりました。マスコミに対する信頼度が懸念されている中、根本的な認識を持った上で、取材相手とも交渉、信頼を得ていかなくてはならないと思いました。池田委員のおっしゃった「社会全体で共有すべき事象は取材すべき」ということを基本にすると共に、子どもを含む取材対象への配慮も考えていけば、よりよい報道に結びつくのではないかと感じました。放送に関わる全ての人が心得ておく必要を感じました。
    • 池田委員が、報道の意義・使命として必要な情報を提供する責務を負っているのだと強調し、代理人弁護士の取材制限をやりすぎだと指摘してくれたことがありがたかった。具体的に対応すべきだったこととして、共同してインタビューを求めるなど、各社団結しての対応も必要だったと指摘してくれた。(意見交換会のあとに地元の)新聞も含めた各社の報道責任者会議が開催されたので、その場でも日頃の取材活動に関して定期的に意見交換をしていこうということになった。さっそく今回の意見交換会の成果が出たと思う。
    • 公的な補助金を受ける施設のため、園側に運営・勤務体制の状況や事件の説明責任を求め報じることは「公共の利益」に繋がる。池田委員から発言があった通り、取材制限されたとはいえ、「各社と協力して園側(弁護士)に記者会見を申し入れる」などやり方はあったのかなと感じた。また、吉永副委員長から「事前に筋道を立てて取材をしているか?」と指摘があったように、何のために取材をするのか、目的を明確にして取材にあたることが大事だと改めて感じた。
    • こども園の代理人弁護士により保護者への取材制限が敷かれており、現場の生の声に触れられずもどかしい思いをしましたが、委員の「報道される側の利益のために報道したりしなかったりを決めるのではなく、社会で共有すべき情報であればたとえ当事者が嫌がろうとしっかり報道すべき」との意見に報道の基本を思い出させていただきました。
  • ▼ (テーマ2)「主に学校内で子どものカメラ取材の状況と問題」の意見交換について

    • 今に始まった問題ではないが、学校での取材の厳しさは年々増している。これについては実は「地域差」のようなものはあまりなく、全国的に同じように厳しくなっているようにも思う。もっと時間をかけて議論することもできる非常に良いテーマだった。
    • 名札の件など配慮すべきものは配慮する一方、配慮しすぎて「顔の見えないニュース」にならないよう教育現場等としっかりとコミュニケーションをとっていく必要性を感じました。視聴者に元気を与えられる子どもたちの笑顔はしっかり届けたいです。
    • プライバシーの問題が深刻化する中、取材時に子どもたちを守ることは大変重要なことだと思います。一方で吉永委員もおっしゃったように、「震災後の入学式だからこそ子どもたちの笑顔を報じたい」という思いも大変共感できます。テレビで話すことが、子どもにとってプラスに働くケースも十分にあると思います。取材対象者に真摯に向き合い、想像力を働かせることの大切さを改めて感じました。
    • 飯田委員の分析、解説に納得する思いでした。このテーマも、今の社会環境をきちんと認識して取材・報道にあたるべき、というご指摘をいただいたと受け止めています。一方、吉永委員の「どうしたら映像で伝えられるのか、根本的に考えていかないと。テレビとして生きる道を真剣に考えないと」というご意見は、とかく後ろ向きになりがちな今のメディア情勢の中で、「報道を担う者たちよ、ちゃんと考えて努力しているか?」と叱咤激励をいただいた思いです。
  • ▼ (テーマ3)「フリートーク(LGBTQなどの子どもの取り上げ方など)」の意見交換について

    • 私も含めて、各社で扱いの難しさを感じながら対応していることが伝わった。これまでの常識を疑い、世界的な動きや特に若い世代の意見や感じ方を学んでいくべきだと思う。自分の見方や感じ方を客観的に評価して、判断していく姿勢が求められているのかなと改めて感じた。
    • この問題についても顔出し、実名・匿名など取材対象者とのコミュニケーションが大切だと感じました。まだまだこの分野について経験が乏しいので、系列間の研修などを通じてさまざまな考え方、視点を学んでいきたいです。
    • ジェンダーに対する意識が中高生で高まっていて、テレビでの性の意識が低いと感じられているという、飯田委員の指摘にはハッとさせられた。男性は青で「君」、女性は赤で「さん」という、我々世代の体に染み込んでしまった意識がすでに古い感覚なのだと。若者のテレビ離れの要因はこういうところにもあるのかもしれない。ニュースづくりではベテランの意見や、ものの見方が通りがちだが、若い人の意見もしっかり汲みながら作り上げていかなければならないと痛感した。
    • 「顔写真をみたいか」という私の質問に、委員の皆さまがそれぞれの視点で丁寧にご回答いただいた。とても参考になった。視聴者の興味関心に応えるという使命と、人権への配慮とのせめぎ合いで、やはり事案ごとに判断していくべき問題なのだと理解した。
  • ▼ そのほかのご意見・ご感想、BPOや青少年委員会へのご要望など

    • BPOと聞くと、近寄りがたい、厳しい指摘をする団体というイメージだったが、より良い放送へのアドバイスを一緒になって考える、というスタンスをそれぞれの委員から感じた。さまざまなことを気軽に相談できるような団体であればありがたい。
    • 全体を通して委員の皆さまから「国民の知る権利」に応えるため、さまざまな障害や規制に負けずしっかり取材してください」とエールをいただいたように受け止めました。今回の意見交換会で学んだことを今後の報道活動に生かしてまいります。
    • メインの会議も良かったですが、懇親会もいろんな意見、現状が分かりましたので良い時間となりました。
    • 報道現場の人たちが集まる機会は貴重なので今後も続けて欲しい。参加者の意見を聞いたり、自分の意見についての他人の見方を聞いたりする時間がもっとあれば良いと思うので、テーマを1つに絞って、掘り下げる形でも良いのではと思いました。

以上